特に最近、仕事って本当に 山あり谷あり だなあと思うんです。
好ましい仕事とそうでない仕事 仕事がある時とない時 など格差が本当に大きいなあと思うのです。
2月は凄まじくヒマで3月になってからようやくそれなりの量が入ってきました。
大袈裟に言うと経営をしていると仕事の量は会社の存亡にかかわるので毎日がハラハラドキドキなのです。
僕がサラリーマンをしていた時は一定の給料が保障され
卓悅化妝水ていたので上司の顔色を伺いながらやりきるのが社会人だと思っていました。こんなんだから僕はサラリーマンが向かなかったのかもしれません(笑)。と言いつつももうサラリーマンに戻ることはないでしょう(年齢的に無理ですが)。
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今日、ラウンジヘブンからこのブログを書くのは最近のある新聞
領導能力記事を読んでふとあることを感じたからです。
それは隠れ家を売りにしているあるバーがあるサイトに投稿されて迷惑を被っているという記事でした。
詳しくいうと客とみられる人物が店内の写真や入店方法などの感想を なんとかログ に投稿、バー側は常連客からの苦情で掲載を知りそのサイトの運営者に削除を求めたのですが「表現の自由の範囲内であり応じられない」と拒否されたため提訴したというものでした。
まあその投稿した人間の人格欠陥ぶりに非難が行くというのが筋だとは思いますが 食べなんとか というサイトも碌なものではないですね。
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僕個人は食べ物を自分の日記やブログに忘備録として投稿するには全然かまわないと思うんです。これこそ表現の自由でありブログの醍醐味だと思うんです。
ですが自らは何も創造せずに 美味い不味い と自分の主観で飲食店の料理などを評価して点数をつけて悦に浸ることを 個人の趣味で表現の自由 として垂れ流すことはモラルに反すると僕は常々思っています(特にラーメンに多いですよね)。
僕の今まで書いた記事と少し重複するかもしれませんがね、仕事や日
收缩毛孔常のことなどを表現の自由を盾に写真を撮られてネットに投稿されて 美味い不味い 上手い下手 美しい醜い と評価されたらどう感じるんでしょうか。
料理人に限って言えば料理人のつくる料理、料理という仕事の結果を 金を払っているから何をしてもいい という訳の分からない超個人的な倫理と表現の自由によってネットに晒してもいいという理屈は僕にはどうしても理解できません。
もう日常になってしまっているのでこんなことを言うのは時代遅れだと思われるかもしれませんが自分以外の人が作った料理や仕事の結果に関して 美味いの不味いのとネットに投稿するのならネットに投稿する人間の仕事やプライベートも表現の自由を盾にネットに投稿されても文句は言えないですよね。
表現の自由という言葉は本当に都合がいい言葉だと思うんです。
法律ではどう転がるかはわかりませんが僕はそもそも法律というもののもっと上にあるものはモラルだと思うんです。
法律は何か紛争があった時の客観的な最終手段だと思うんです。
法律を盾にすればなんとでも解釈ができてしまうんです。
判決というものは個の主張の後ろ盾に過ぎないんです。
表現の自由を盾に他人が嫌がることを晒そうとするのであれば 差別用語 や 不快用語 も表現の自由を盾にどんどん発言できるはずですよね、食○○グさん。