こころの病気は、こわい。
カラダの病気も、こわい。
病気のデパート、お悩みトラブル総合商社の人は、むしろ強い。
病気馴れしているから。
わたしは、心身ともに、どっちの病気も馴れていない。
人間は未知のものに多大なる恐怖心を抱く。
そのなかでも、「死」は、最たるもの。
昨夜、ふと、NHKで「にっぽん紀行」を観た。
うんと昔、子供の頃、親が「新日本紀行」を観ていたような気がするが、
「新」が取れたということは、どういうことだ?
「旧にっほん紀行」か?
はたまた「元祖にっぽん紀行」か?
まあ、なんでもいい。
それを観て、意味もなく涙が頬をつたった。
ああ、わたしも一人前の、いっちょまえの、日本の「お年寄り」の仲間入りをしたのだと感じた。
100歳で、過疎地で日用品の小売店を営んでいる、一人住まいのおばあさんのところに、
安い値段で、ちょっとしたお手伝いをする、地域のNPO「チョイてご」、40代の男性が出入りする。
地域では重宝され、高齢の人々に喜ばれている。
彼がある日、訪れたのは、頼まれたからではなく、自主的に足を運んだのだった。
桜の木を植えてくれるらしい。
近頃、足が痛くて、外に出歩けなくなった、100歳のおばあさんのために、
家から出なくても、自宅の台所の窓から見える、目の前の斜面を、植える場所に選んだ。
「来年も見えるよ」と男性が言う。
「来年、生きとるかなあ」と、おばあさん。
「生きてるよ」と、ぼそっと言う男性。
べつに、なにがしたい、とか、力みもしない、あたたかい、やり取りだった。
この男性、都会で、運送業を経営していたが、体を壊して、過疎地が募集していた、貸家付きの今の仕事に就いた。
若いのに、夢破れ、第二のスタート。
おそらく、離婚したか、妻が付いてこなかったかなにかで、一軒家に、単身住まいだった。
80歳以上のお年寄りばかりが住む地域では、
弾力のある筋肉が付き、しなやかに足腰の伸びた、すらっとした体格の彼は、場違いなぐらい若い。
てきぱきと、力仕事や、お年寄りにできないことを次々こなしてくれる姿は、頼もしい。
(わたしが、仮にこの人に惚れて、一緒に暮らして、彼を身近にサポートしてあげたくても、
おそらく、あの限界集落での暮らしはできないと思われる。厳しい現実)
都会での働き方と、この集落での働き方では、まったく時計の針の回り方が違うだろう。
1分1秒、時間の切り売り、使い捨ての都会に対して、
野山、田畑の広がる、自然に恵まれた地域で暮らすお年寄りたちの、一日一日の丁寧な暮らし。
子供世帯は、都会へ出たまま、帰ってこないので、残るのは高齢者ばかり。
これは、どこの農村部、限界集落でも同じ光景だろう。
子供が心配して、子世帯に引き取りたいと申し出ても、都会での同居を断るお年寄りたち。
自立できる生活のぎりぎりまで、最後の一日まで、この集落で住み続けたいと望む。
これが、過疎地でなくても都会でも、高齢者がどこまで自立した生活を送れるか、共通のテーマでもある。
最期は在宅(老人ホームを含む)か、病院か。
(現在、8割が病院で最期を迎えるらしいが、
政府は、病院から在宅へ、医療費削減のため、今後、在宅看取りを積極的に推し進めるとか)
多くの家族に囲まれ看取られるのが幸せとされているが、ほんとうにそうなのか。
どんなに回りに家族が大勢いても、死ぬ時は、一人だ。
福祉の隙間から零れ落ちた、凄惨な孤独死とは、また少し意味合いが違うが。
上野千鶴子氏は、著書で述べている。
死ぬ時が、どんな死に方なのかが、問題なのではなく、どのように生きていたか、だと。
生きている間に、どのように、周りと接していたか。
ふ~む・・・つまり・・・
おひとりさま(高齢死別、含む)であろうが、家族が大勢いようが、
生きざま、暮らしぶりが、死にざまを左右するということなのか。
生きている内容が問題であって、死そのものは、単なる点、エンドに過ぎない。
・・・
しかしながら、突然、エンドが来るのなら、よいが、そうはいかない。
自宅で生活するには、
自立しているか、あるいは、同居の家族やヘルパーさんに、介護してもらって生活できるか、である。
自立していなければ、一人では生活できない。
誰かの手を必要とする。
人の手が足りない場合は、人の手をおカネで買うこともある。
経済的にも人間関係的にも厳しい状況の場合は、家族が呑み込まれる、悲惨な事件になっていることもある。
政府は、いくら税金を投入して施設をたくさん作っても、働く人が充実していなければ、中身はスカスカだ。
核家族の終焉は、おひとりさま死。
核家族なのに、家族に囲まれて最期を迎えるなんて、虫が良い。
自分が高齢になった頃は、子供や孫は、とっくに独立して、別居している。