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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2015年11月30日

愛犬ハナは幸せだったか

12月になると、目や耳だけでなく、鼻も利かなくなって、
口先にある食物は食べるけれど、わずか数センチずれると、
好物が目の前にあっても見付けられなくなってしまう。

声を掛けても、全く無反応。
コミュニケーションの手段は、
撫でたり、抱いたりするボディータッチのみ。
尾は下に垂れたまま、11月以来、二度と振られることはなかった。

1月に入ると、それまで旺盛だった食欲が、減退する。
ときどき、食餌を残すようになる。
それでも、翌日にはペロリと完食した。

足腰は丈夫で、毎日散歩もするし、
内臓も健康で、排尿排便に異常がないため、
「ああ、このまま半年くらいは生きるだろう」
と思っていた。

それが、2月のある日、連続して2日餌を食べなかった。
それどころか、水も飲めない。
「猫用のサカナ缶なら!」と思って与えてみると、
大喜びで飛びつき、長い時間かけて食べようとしたにも関わらず、
全く食べられなかった。
どうやら、嚥下ができないらしい。

せめて水だけでも、とスポイトで与えたが、
ほんの少ししか受け付けない。
固く閉じられた口は、頑とした拒否を示していた。

 ああ、大自然が、この命を閉じようとしている――
 無私にそれを伝えるハナが、とても崇高に思えた馬浩文

ハナは、水が飲めなくなってなって10日後、
ものが食べられなくなって12日後に、息を引き取った。




亡くなったのは、3月1日日曜日午前1時。

死ぬ前の朝まで、庭を散歩し、透明できれいなオシッコをした。
不思議なことに、何か月もずっとうつむいたまま無表情だったのが、
死の当日だけは、しゃんと首を上げ、精気ある表情をしていた。

ただ確実に体力は落ち、体はフラフラで、
最後の半日はさすがに足腰が立たず、それでもどこかへ行こうとして、
はって動いた。

最期の夜も、寝床からはい出ていた。
それを、私が寝かせ直してやった時は、まだ通常どおりの息をしていた。

敷いてあったペットシーツを蹴散らして、畳の上に液状便が広がっていた。
それは、かつて無いことであり、
私は真っ青になり、その処理をするのに必死になった。
処理するのに2時間ほどかかり、その途中、
ハナの鼓動が止まっていることに気付いた詩琳 好唔好

2日後には、14歳の誕生日だった。  


Posted by kukufu at 17:40Comments(0)

2015年11月25日

代わり映えなく見えても

手紙魔には夢のような数日間も過ぎ(「年賀状は、贈り物だと思う」ってコピーが好きです、このコピーを考えた岩崎俊一さんのエッセイがまたよいのです、仕事始めはまず1週間がんばれば成人式を控えた3連休が待っている僱傭中心

ここに連休が設定されていると、ほんとうにほっとするよね、といった内容のやりとりを毎年職場のランチサロンで交わしている。

今年ももちろんした。

水曜日の時点でみんなもうすでに金曜日くらいのテンションで、まだあと2日もあるよ……でも2日がんばったら3連休だよ、なんとかがんばろうみたいなお決まりの恒例会話をば。

年が変わるということを、これまであまり自覚してこなかったのだけれど同珍王賜豪

二十歳になった日も三十歳になった日も、別になにかががらりとかわるようなことはなくて、なんとなくなんとなく二十代になったんだなあ三十代になったんだなあという自覚を時間をかけて得ていったような気がする。

でも、年が変わる日っていうのは旧暦での数え方もあるけれど、大方全世界的に全人類が同時に迎える境目の日で、宇宙の運行から叩き出された実はかなり壮大な変わり目の日なのだ。

大げさな! と思われるでしょう。

でも、ときどきこういったことを真剣に考えます。どうやったら魔法が使えるようになるだろうかなどなど。

2015年元旦になったら、また日記をつけようと決めていた。ブログも毎日書きつづけてみたいなとも。

なにより、2014年の憂鬱は2014年のものとして、2015年へは持ち込まないこと。
だからフライングはしないで、すべて一年の計は元旦にありとしたかったのだと思う。

それらが功を奏したのか、はたと気がつけばわたしの思考回路はまるで毛玉だらけの肌着を1枚脱いだかのような、見通しのよいものになっていて。
別になんも解決なんぞしていないのに防脫髮產品

なおなお、かなしみに暮れてばかりいるのにな。

わたしちゃんはわたしのことをちゃん付けしている時点で精神的に大人から子ども時代へ逆行しているよね。

おとなになりたい。けど、一生おとなになんかならなくてもいいやとか思うのよ。

来年のきょうなんて、きっとまたあっというまにまためぐってくる。

きょねんより今日の方がおとなになったなあて思えるのは、きっと心に余裕ができたから。

うまくいってなくても。  


Posted by kukufu at 18:20Comments(0)

2015年11月20日

僕はいつも思うのだが

誰が悪いのではなく何が悪い
誰が正しいのではなく何が正しいという冷徹な分別が
いわゆる智慧というべきものを形成す新鴻基金融るのではないか。
自分の思想に凝り固まるとそういう冷徹な判断ができなくなる。
人にレッテルを張るのは、ある意味で非常に危険なことなのだ。
しかし、どういう立場であっても、
人は往々にして他人にレッテルを張り、批判する。
すべてを十把一絡げにして、人にレッテルを張る人というのは、要は、
頭が悪い
としか言いようがない。
僕はいつもそれを自分に戒める。

いまから30年前、初めてソウルを訪れた時、
催涙弾の煙たさの中で、日本の15~20年前をふっと思った。
全共闘のゲバルト時代Neo skin lab 好唔好
火炎瓶を投げ、最後は先鋭化し、内ゲバ殺人やセクト間抗争、
交番爆破テロや成田管制塔破壊テロ、
総括という名の仲間内大量殺人まで行って、
国民からの支持を失って縮小していった。
韓国も15~20年のタイムラグを経て
ようやく学生たちが動きだしたのだ。光州事件の頃だった。
もっとも、韓国は軍部が学生をねじ伏せた。全斗煥政権だったはず。
天安門は光州事件の五年後くらいか。こっちも軍隊が粛正した。
そうやってみると日本の機動隊はずいぶん優しい。

日本で起きたことは、10年後20年後
韓国や中国で形を変えて起きる。
まるで未来予測でもあるかのようにリフレインする。
しかし、まったく同じようには終わらない。
では、いまから10年後20年後中国や韓国はどうなっているのだろう。

国と国の理解は、今よりも改善されていればいいが。  


Posted by kukufu at 17:25Comments(0)

2015年11月17日

大根臭

今日、サシャを自宅まで送った後で、
私はクライアントの店へ
ミーティングに行くことになっていた余近卿余近卿余近卿

私のクルマの中には、サシャが持っていた煮物の
大根の匂いがモヤ~ンと漂っていた。

クライアントのお店は、バレーパーキングオンリーなので、
サーフボードのワックスや砂で汚れた私のクルマも
玄関前で私が降りると、駐車場係が停めてきてくれる。

こんな時、ダイコンの匂いはあまりよろしくない。

ハワイのローカルは、もちろん日系人も多いから
大根の匂いにはある程度慣れているかもしれないが、
私が降りたクルマの運転席に乗る駐車場係は、
この匂いを嗅いだら間違いなく、私を疑うだろう。

私は大根の煮物をちょっと恨みつつ、
クルマの窓を全開にしてクライアントのお店に向かった。

そういえば、ずいぶん前にガールズナイトで出かけた時に
友人のひとりが日本の「松前漬け」という
切り干し大根や昆布やスルメをふんだんに使った
かなり香り高い食べ物を持ってきてくれたことがあった。

「おいしいから持って帰ってね」と、
友人はみんなにふるまうつもりでそれを持って来てくれたのだが、
何しろ夜はまだ始まったばかりだったから、
みんなの分の漬物をそのまま後部座席に残し、
私たちは駐車場係にクルマを預けて出かけた。

楽しい時間を過ごした後、
駐車場係が私のクルマを店の玄関前まで回してくれた時、
その若いお兄ちゃんは、
なぜか恥ずかしそうにうつむき加減で
私のためにドアを開けてくれた。

クルマの窓は全開になっていたが、
車内はものすごい匂いに満ちていた。

あの時駐車場係のお兄ちゃんは、
松前漬けの大根のあの匂いを、いったい何だと思っただろう。

どんな顔をして、クルマの窓を全開にしたのだろう。
気の毒なことしちゃったなあと、また思い出して笑う。  


Posted by kukufu at 10:55Comments(0)

2015年11月11日

寒の入り

 新年も一週間も過ぎれば、人々の暮らしは、いつもの日常を取り戻す。正月休みの間じゅう、ぐうたらと暮らしてしていた私も、今では何食わぬ顔で仕事に出かけている。非日常から日常へ、この気持ちの切り替えの早さは不思議なほどに絶妙である品牌維護

 街を見渡せば、あちこちの玄関前に置かれてあった門松も、今では何事もなかったように撤去されている。新春ムードは何処へやら、街には当たり前のごとく、寒々とした冬の景色が戻っている。それもその筈、一月五日は「小寒」であった。寒の入りである。一年のうちで最も寒くなる時期である。

 そもそも、インフルエンザが猛威を振るうこの時期に正月を迎えなけれ香港名门搬屋搬運公司負責人從事搬運服務已20多年,擁有豐富的搬運經驗,能清楚了解貴客之搬屋搬運需要。確保以忠誠的服務態度服務大眾,絕不濫收小費,一切均以客戶的利益著想,務求方便客戶,收取最好的口碑ばならぬとは、いささか妙な話である。元来、一年の始まりは、春の訪れと共にスタートするものと古来より決まっている。奇しくも今宵は新月。旧暦師走の始まりである。明治以降、西洋歴の導入により、新暦と旧暦に基づく催事との間に矛盾が生じている。

 しかしながら、現代の日本人は、この矛盾をなんなく解消しているから見事である。日本人という生き物は、矛盾が生ずる場合、巧みに折り合いを付ける名人である。ヘーゲルも真っ青である。古来からの歳時記に基づく伝統行事を形骸化することで、その行動様式のみを楽しんでいる。

 様式化されているから、年賀状に「迎春」とか「新春」とかしたためても失韓國 年糕礼に当たらない。立派な現代人であるならば、この点を深く考えてはいけないらしい。一年の始まりは春という旧暦に基づいた催事が、新暦に代わっても慣例化して身に染み付いているいい例である。
image

 しかしながら、そのお蔭で日本人独特の繊細な自然観が脆弱なものとなっているとすれば、悲しい。清少納言ちゃんが生きていれば何と言うであろう。あれこれ考えているうちに北風が強くなってきた。再び冬の景色に目を転じてみれば、冬に咲く花、山茶花があちらこちらに咲いているではないか。植物は歳時記に正直のようである。  


Posted by kukufu at 12:55Comments(0)

2015年11月03日

素人ブロガーは、気楽である

自由な時間がまとまってある時に限って、ブログに書きたいことが思いつかない。
時間がない時に限って、どんどん溢れ出てくる。

これは、ブログだけではなく、いつものわたしのパターンである。

お尻に火が付かないと、行動しない。
バッテリー残量がわずかにならないと、奮い立たない。
ああ、人生も同じか。

人生、残すところ、あと僅か、にならないと、真のやる気が沸きあがらないのだろう。
時間も、お金も、健康も、あと少ししかないと自覚してからでは、遅いのだけれど。
本気スイッチが入るのは、死ぬ直前か。

まあ、しかたない。
何もない平常時に、危機管理プランを立て、訓練実施している人は、偉い。



ほら、蝶ブログ、こんなにつまらん内容しか、書けない。
いかに、本日は、だら~んとしているか、ってことだ。
せっかくの谷間、隙間の、貴重な自由時間なのに。

じつは、書きたいことはあるんだけれど、書く気にならないって、
いったいどういう心理状態なんだろう。
自問自答のスタンス、自分では答えは出ていて、わかっているのだけれど。
書いてもいいのだけれど、書きたくない、書かないって、この心理は、・・・
なぜそうするかと言えば・・・

やはり、ある思惑、意図があっての行動。
自分で自分が、いちばんよくわかっている。

何なの? 早く、書いてよ。イラつく、うっとうしい人やねえ。
などと、じらしたりして、読み手に興味を持ってもらおうなんて、そんなチャッイ作戦ではないことだけは確かだ。

そこまで言って、まだ書かない。

私は営利目的としない素人ブロガーなので、
自分を切り売りする必要に迫られていないから、お気楽そのものだ。

素人って、ほんと、ストレスがない。
その代わり、なんの迫真パワーもない。  


Posted by kukufu at 15:28Comments(0)
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