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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2016年02月29日

バルカン半島

バルカン半島って、世界の火薬染髮焗油庫などと表現され、昔から紛争の火種になっていますよね。

じゃあ、何でそういう火薬庫といわれるのか、それを地理の面から解説したものです。

先ず、地図を見てみましょう。↓

明るい部分がバルカンと呼ばれる地域です。



西側は南北に山脈が走っていて、頭部は東西に山脈が走っています。

いわゆる山岳地帯で、人が住むには大変な地域に見えます。

ところが、よく見てみると、山岳と山岳に囲まれた平地をいくつも見ることが出来ます。

例えば、数ブロックに独立した地域が固まって全身按摩いるというべきでしょうか。

それと同時にいくつかの川が流れていて、孤立しがちだと思われる各ブロックは外界(?)に通じているのです。  


Posted by kukufu at 15:27Comments(0)

2016年02月24日

イスラム教はとて

じゃあオマエは他の宗教のことを知っているかと問われると困ってしまいますが。(^^ゞ

まず発生した場所が不思議でしょ?

アラビア半島ですよ。

当時も今もアラビア半島は殆ど砂漠です。

文明の空白地帯で、それまで歴史に登場したことが殆どありませんでした。

何故そこにイスラム教という新興宗教が発生したのか。

そして、何故100年ほどで一大帝国が築かれたのか。

不思議でしょう?

・・・・・・

先ず、メッカという場所。

アラビア半島の南端にはイエメンがあり、そこでは唯一農耕が可能な土地でした。

半島の北には地中海に面するシリアや、シナイ半島があって、そこは古くからの豊潤な土地でした。

メッカは二つの地方を結ぶ通商路の途中に位置しています。

(そして、メディナもその通商路上に位置していて、メッカよりやや北にあります。)

両方ともオアシスであり、往復する商隊の重要な中継都市だったのです。

イスラム教というと、遊牧民の宗教と思われがちですが、実は都市的な性質を持った宗教なのです。

・・・・・・

ご存知の通り、ムハンマドはメッカで生まれました。

そこは、情報に接するには都合が良かったことに先ず着目するべきでしょう。

なぜぼくが着目するのかというと、ムハンマドがキリスト教やユダヤ教を熟知していたと感じるからです。

後発の宗教として、先行している二大宗教の欠点を上手くカバーしていて、同時に上手く利用しているからです。  


Posted by kukufu at 16:11Comments(0)

2016年02月22日

ラ・トレムイユの後釜

「これは、ヨランド様、ご機嫌うるわしゅう……」
 オルレアンの私生児、ジャン・ド・デュノワがラ・イールより早くそう挨拶をしようとすると、フランス王シャルル7世の義理の母は、手でそれを制した。
「結構。うるわしくなどありませんから」
「は、はぁ……」
 ジャンが困った表情になると、王の義理の母、ヨランド・タラゴンの後ろに控えていた長身の青年が苦笑した。
「ヨランド様、そういじめられずともよいではありませんか。二人とも、我らの大事な戦力となるのですから」
 聞き覚えのある凛としたその声に、二人が声の方を見ると、そこではアルテュール・ド・リッシモンがにこやかに微笑んでいたreenex
「大元帥!」
 懐かしい顔を見て、ラ・イールが嬉しそうにそう叫ぶと、彼は苦笑しながらそれを制した。
「気が早いぞ、ラ・イール。私はまだ大元帥に戻ったわけではないのだからな」
「大丈夫です。リッシモン様なら、すぐに戻れますって! それに、俺はリッシモン様の下でしか働くつもりはありませんし」
 そう言ってニカッと笑うラ・イールに、アルテュールも微笑んだ。その言葉に偽りは無いと分かったので。
「ラ・イール殿、今はそういう話をしている場合ではなかろう?」
 そんな彼をたしなめたのは、ジャン・ド・デュノワだった。
 彼はそう言うと、再びヨランドにうやうやしくお辞儀をした。
「それで、我々がお力になれることとは何でしょうかreenex?」
「ラ・トレムイユを捕らえるのです」
 ヨランド・タラゴンのその言葉に、思わずラ・イールとジャンは顔を見合わせた。
 そんな二人に、ヨランドは続けた。
「まさか二人とも、フランスの宮廷が今のままで良いとは思っているのですか? いつまでもあの乙女をただ見殺しにした、と言われ続けたいのですか?」
「いえ、それは………」
 ラ・イールが困った表情でそう言うと、ジャンが尋ねた。
「それは勿論良くありませんが、具体的にどのような罪で捕らえられるおつもりなのですか?」
「陛下を良くない方向に導いた罪で充分でしょう」
「そ、それは、確かに……」
 単純で、直情的なラ・イールがそう言って頷く横で、ジャンは難しい表情になった。
「それだけで、果たして宮廷が変わるものでしょうか? 乙女を見殺しにいたという事実は、いくら陛下の侍従を失脚させたとて、変わらぬと思いますが……」
「陛下はちゃんと動かれていたのだよ、デュノワ殿」
 そう言ったのは、アルテュールだった。
「まことですか?」
「ああ。各地に放っておいた密偵から知らせがあってな、ブルゴーニュ公に使いを出されていたというのが分かったのだ。乙女をイギリスに引き渡すのならば、陛下が捕らえておいでの公の部下も、乙女と同じ目に合わせる、とな」
「何と!」
 ラ・イールとジャンは、同時に驚きの声をあげた。
「流石は陛下だ! それでこそ、身命を賭してお仕えする甲斐があるというもの!」
 嬉しそうに顔を紅潮させてそう言うラ・イールをチラリと見ると、ジャンは尋ねたbeautymama
「では、その件でラ・トレムイユを責めるとして、誰を後任に推挙されるおつもりなのですか?」
「メーヌ伯シャルルを」
 その名に、ジャンとラ・イールは再び顔を見合わせた。  


Posted by kukufu at 18:09Comments(0)

2016年02月18日

イザボー王妃

 マルグリットが生まれてすぐ婚約した王太子シャルルは、婚約後まもなく、8歳という若さで亡くなってしまうが。
 その後すぐ、1403年5月には、新たに王太子となったギュイエンヌ公ルイと婚約したがreenex
 そんな家の事情もあり、マルグリットは「王太子と結婚し、将来は王妃になるのだ」と小さい時から思っていた。それが、つい、夫となったルイの前でも出てしまったのだった。
 或は、単に「初めての夜」ということで、恐怖や緊張を隠す為に虚勢を張っただけかもしれないが、ルイはそこまで彼女の心情を思いやることが出来なかった。
 加えて、この頃はルイの母イザボー・ド・パヴィエールがマルグリットの父であるブルゴーニュ公と仲が悪く、辛くあたっていたこともあった。

 イザボー・ド・パヴィエール。
 ドイツ・ヴィッテルスバッハ家のバイエルン公シュテファン3世の長女で、ドイツに居た時の名は、エリザベス・フォン・バイエルンであったreenex
 1385年7月17日に14歳でアミアンにおいて、シャルル6世と結婚し、12人の子供をもうけたが、1393年に夫が発狂してからはオルレアン公ルイと関係を持ったので、中にはシャルル6世との子供ではないと言われている子供もいる。
 そのオルレアン公ルイは、フィリップ豪胆公と仲が悪く、アルチュール達の後見人となったベリー公ジャンが二人の間を取り持とうとしたがうまくいかず、1407年に暗殺されてしまう。
 彼を暗殺したのはフィリップ豪胆公の息子、ジャン無畏公と言われているが、イザボー王妃は後に彼とも結び、それがもとで「淫乱王妃」と呼ばれ、後の歴史家からは
「フランスは女(=イザボー)によって破滅し、娘(=ジャンヌ・ダルク)によって救われた」
と言われるようになるreenex
 王太子ルイを操っていた母イザボーとは、そういう女であったのである。  


Posted by kukufu at 15:55Comments(0)

2016年02月03日

山の中の移動

田舎でこの仕事をしていると、どうしても山道の運転が必須となる。勿論ヘルパーさんなどは時間内に移動しなくてはいけないので、運転も上手だし、道もよく知っているreenex
 私はヘルパーさんほど縛りが無いので、それまで「分かりきった道」だけ通れば何とかなっていた。しかし、土砂崩れなんかがあったり通行止めがあると、迂回路を知らないと困った事になる。
 そもそも、山道にはこれといった目印が無い。以前あるケアマネが上司に教えられた目印が大きな銀杏の木だった。ところが冬になって黄色い葉が落ちると、遠くからは全く目印にならない。
 そしてお墓。これもいたるところにあるので、目印とは言い難い。
 今日担当様を訪ねて、次の訪問先に行く時に、途中工事中で通行止めがある事は知っていた。しかし、時間内に移動して、訪問して戻るとなるとかなり無理がある。だから、迂回路を使う事にしていた。
 すると昨日のやり取りを(私が訪問のアポイントを取っていたのを)聞いていた担当様が、
 「そこへ行くなら、ここからあの道じゃなくて、この道を通って行けば一本道であそこに出る。」
と教えてくださった。それならばかなりいい場所に出るので、詳しく教えてもらった。
 「いつも通る迂回路じゃなしに、手前の道をずっと行ったらな、初めての家がAさん家で、車が1代あるけど人はおらんけん。しばらく行ったらBさん家じゃけど、やぶの中で見えんけん。その後ずっと行ったらCさんDさんの家じゃけど、空き家じゃけん。まあ、この道を通って人に出会う事はまずないreenex。」
・・・・。一本道だよね。本当に迷わないのか?ここで迷ったらアウトな条件じゃないか・・・。
 とは言え、他に方法もなく行く事にしたのだが、行きはどうしても入り口が分からなかった。と言うより、ここしかないよな~という道があったのだが、小さい木が倒れかかっていて(通れないほどではない)、先が不安になったので、知っている迂回路を使った。そして帰りに教えてもらった迂回路を逆走してみた。と言うのも、逆は入り口がとても分かりやすい場所だったからだ。
 果たして逆走してみると、確かにDさんCさんの家らしき物があり、かなりいくとAさん宅らしい車のある家があった。ただ、何と一人歩いている人に出会った(笑)。そしてAさん宅から暫く行くと、小さな倒れかかっている木を発見。どうやら道は間違ってなかったようだreenex
 それにしたって、本当に田舎での移動は大変である。改めてヘルパーさんを尊敬する。  


Posted by kukufu at 11:04Comments(0)
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