2015年11月20日

僕はいつも思うのだが

誰が悪いのではなく何が悪い
誰が正しいのではなく何が正しいという冷徹な分別が
いわゆる智慧というべきものを形成す新鴻基金融るのではないか。
自分の思想に凝り固まるとそういう冷徹な判断ができなくなる。
人にレッテルを張るのは、ある意味で非常に危険なことなのだ。
しかし、どういう立場であっても、
人は往々にして他人にレッテルを張り、批判する。
すべてを十把一絡げにして、人にレッテルを張る人というのは、要は、
頭が悪い
としか言いようがない。
僕はいつもそれを自分に戒める。

いまから30年前、初めてソウルを訪れた時、
催涙弾の煙たさの中で、日本の15~20年前をふっと思った。
全共闘のゲバルト時代Neo skin lab 好唔好
火炎瓶を投げ、最後は先鋭化し、内ゲバ殺人やセクト間抗争、
交番爆破テロや成田管制塔破壊テロ、
総括という名の仲間内大量殺人まで行って、
国民からの支持を失って縮小していった。
韓国も15~20年のタイムラグを経て
ようやく学生たちが動きだしたのだ。光州事件の頃だった。
もっとも、韓国は軍部が学生をねじ伏せた。全斗煥政権だったはず。
天安門は光州事件の五年後くらいか。こっちも軍隊が粛正した。
そうやってみると日本の機動隊はずいぶん優しい。

日本で起きたことは、10年後20年後
韓国や中国で形を変えて起きる。
まるで未来予測でもあるかのようにリフレインする。
しかし、まったく同じようには終わらない。
では、いまから10年後20年後中国や韓国はどうなっているのだろう。

国と国の理解は、今よりも改善されていればいいが。



Posted by kukufu at 17:25│Comments(0)
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